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社会保障と国民経済 ~医療・介護の静かなる革命~【第1章】相矛盾する国民の意識


 2018年4月に日本医師会から発表された医療政策会議報告書の平成28・29年度版「社会保障と国民経済 ~医療・介護の静かなる革命~」を読みました。

 前回、第1回目の記事はこちら。
 社会保障と国民経済 ~医療・介護の静かなる革命~【序章】給付先行型福祉国家


 本当は報告書を読んでいただくほうが良いのですが、よほどのもの好きでなければ(笑)読み込むのはしんどいと思います。私による勝手な引用だけでもぜひ参考になりましたら幸いです。

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■第1章〔社会保障論〕 経済・財政・社会保障を一体的に考える
 香取 照幸(アゼルバイジャン大使)

・社会保障は単に社会的弱者の救済にとどまるものではなく、社会の安定や統合を脅かす様々なリスクを社会全体で最適化(ヘッジ)する壮大な仕掛け p7
・社会保障とは、「社会の発展」と「個人の自己実現・市民生活の安定」を同時に保障するために人類が考え出した最も知的で合理的なシステム p7

・歴史的に見れば、個人の社会生活の安定・安心を担保する機能は、地域共同体や家族が担ってきました(中略)社会保障は、それまで地域や家族が担ってきた人々の紐帯、助け合いの機能を補完し強化していく機能を果たしています p7

・社会保障が機能不全を起こすと何が起こるか(中略)社会は混乱し、治安は乱れ、経済は停滞します p8
・個々の市民にとっては、社会保障は日々の生活に直結している個別具体のサービス p8
・ひとたび自分が病気になったり、重度の障害の子どもができれば、社会保障は自分にとっていわば死活問題のような制度 p9

・「合理的無知」とは、人間は、物事を考える時間とアタマの容量には限りがありますから、自分に直接かかわりのないことについては、「合理的」選択として必要以上に時間とエネルギーを使わない。大体みんなが思っているとおりに思っていればよいと考える、敢えて「無知」であることを選択する、ということ p9
・合理的にものを考えるとか、知的にものを考えるということを蔑む風潮が広がっています p9

・日本は公平さや公正さ、平等であること、といったことに関する感性が非常に高い社会 p10
・政府に対する信頼が低いので、増税をするとか政府が大きくなるということに対しては強い反発があり(中略)他方で、政府に望むことは何か、と聞くと、やはり医療や年金、福祉を充実してくれという回答が大体トップに来ます。福祉を充実するというのは大きい政府を求めるということですから、これは明らかに矛盾 p10

・財政再建を考えないで積極財政の経済運営をするということは、将来のお金(借金)で当面の経済対策を打ち続けるということで、20年後30年後の景気を先取りしているようなもの p11
・私たちは、既に財源の「先食い」をしてしまっています。積み上がった財政赤字のかなりの部分は社会保障です。言ってみれば将来の税収を先食いして足元の給付を賄ってきた、そしてこの瞬間もそれを日々やり続けている p12

・繰り返しますが、社会保障のことだけ考えても問題の解決にはなりません。社会保障と経済成長と財政の健全化というものをセットで考えるということが必要 p13

・大事なことなので繰り返しますが、全員にとってwinになるような改革というのはないのです。絶対にないのです p14
・だれかが悪いからうまくいっていないという思考回路の裏側は「僕は悪くない」ですから、自分は変えなくてもよい。つまり、自分自身を変えるという、自分が問題解決にコミットするということを放棄する、いわば自分を免罪してしまう思考回路です。ですから犯人探しは絶対に駄目 p14

・少子化について言えば、今やるべきことは今の足元の雇用というか、労働力を確保する対策と、20年後30年後の日本の持続可能性の双方を考える。この2つのことを同時にやるということです。その意味で最も重要なのは「少子化対策」ではなくて「家族支援政策」を考えるということ p15

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 2番手は香取さんです。「教養としての社会保障」の著者です。

 社会保障の役割と機能、「合理的無知」、財政と経済。社会保障・税一体改革のこと、相矛盾する国民の意識、合意形成の基礎をなすものなど、大事なことをわかりやすく解説されています。引用が多くなってしまいました。


 社会保障の存在は日常生活で感じることはほぼありません。自分自身や家族や身近な人にそういったことが起こってしまって初めてその存在の大きさに気がつくんです。
 たまたま今の自分や家族に何も問題が起こっていないからと公的年金保険をはじめとした社会の仕組みを否定する思考になってしまうのは「合理的無知」として致し方のない部分かと思います。でも、その思考について裏付けを取らないままに(悪意を感じるほどに)強く発信してしまうことは許されるものではないと考えます。その根拠のない無知を信じてしまう人がいるからです。

 だからこそ、私は義務教育におけるまっとうな社会保障教育が強く必要だというスタンスです。

 <次回> 第2章〔医療介護論〕 今後の超高齢・少子社会と医療・社会保障の財源選択